テンアートニ創立10周年に思うこと  (2007年10月02日)

5月23日は、Javaの誕生日(初めてJavaと言う名前が発表された日)であるとともに、テンアートニ(現サイオステクノロジー)の創立記念日でもある。Javaは1995年だったが、テンアートニはちょうど2年後の1997年に創立した。


【テンアートニ創業期1997年の広告】

 私は1997年1月に大塚商会と顧問契約を行い、6月までに大塚商会の子会社として先端技術を追求できる会社の設立を準備していた。
 当時の米国のIT関連ニュースをウォッチしていて、「米国で話題沸騰、日本ではまだこれから」というものを採り上げようと思い、先ずJavaをビジネスの中心にすることは決まった。
 このころのJavaは、まだアプレットだけしかなく、サーバーからダウンロードさせてクライアントで実行させる方式である。このダウンロードさせるサー バー側をどうするか、創業メンバーといろいろ議論した結果、米国の雑誌の記事の中に、NetscapeとLinuxの組合せが、 SolarisやWindowsサーバーと並んで掲載されており、Linuxはフリーソフトウェア(当時はまだオープンソースという言葉はない)として新 鮮でJavaにはピッタリだと思った。
 但し、当時のSun Microsystemsにしてみれば、JavaはSolarisサーバーを売るための道具でもあったので、あまりやりたくなかったようだ。
 したがって、我々にとってこのニッチなマーケットは、まだ手付かずで魅力的なものとなった。
 こうして、「JavaとLinuxによるSI企業 テンアートニ」は誕生したのである。
 テンアートニという名前は、企業をターゲットとしていたことから、企業内でのインターネット利用を意味するイントラネットを英字intranetにし て、逆から読みtenartniに、更にtenを数字の10にしたものである。10(たくさん)のart(芸術的)なni(ネットワーク・イノベーショ ン)の意味にもつながった。

Linux開発者Linus Torvaldsのサイン入りノートPC


そ のころ、日経BPのある編集長と話していたら、最近の学生はJavaやフリーソフトウェアに詳しい人たちが多い。アルバイトで使ったらフリーソフトウェア の経験の少ない一般のSEよりも効果が高いのではないか、との指摘を受け、学生アルバイトを募集したところ、超一流大学の学生や院生たちがたくさん集ま り、一時は10名くらいいたように思う。
 彼らも、これらの技術を追求していたが実際に試す場がなく、当時のテンアートニで仕事として実践することは楽しいことのようだった。
 ある意味では、彼らとのコラボレーションがテンアートニの創業期を支えてくれていたような気もする。

今年の5月23日には、十分に連絡がとれなかったが、それでも20数名のOBOGたちが集まり、セルベッサ(外食受発注システムのオープンソース)でご縁のあるニユートーキヨー本店の9階で、10周年記念の宴を催すことができた。
 一番驚いたことは、「社長」が多いこと。
 小さな企業とは言え、自分で会社をやってみたいという気持ちは、ベンチャーとしての第一歩でもある。
 そして、世の中の何かにチャレンジすること。何かとはその人の環境や時代によって異なるかもしれないが、ただ会社を立上げて社長になっただけではベンチャーではない。
 これは、10年前のテンアートニも同様であった。
 世の中を変えるために、ITビジネスの仕組みを変えるために、ベンチャーとして活動してきた。JavaやLinuxは、あくまでも環境や時代が与えた キーワードであり、今の時代となっては、この2つは完全に一般化してしまっているのである。これについては、Red Hat Linuxの普及を推進し実現したサイオステクノロジーの喜多社長の努力によるところも大きい。
 何か新しいキーワードを掲げ、ベンチャーとして新たなチャレンジをして欲しい。
 大袈裟にいえばテンアートニのDNAとでもいえるものを、OBOGを含め社員が持ち続けてもらえていることは大変に嬉しいことである。
 もちろん、現在のオープンソース・ジャパンの社員も同様で、それぞれいろいろなことにチャレンジしているところである。そういう私もまだまだチャレンジの最中なのだ。

これらのメンバーの中から、株式公開を目指すような人たちが現われ、世の中を変革する旗手となる人がでてきて欲しいと心より願っている。

オープンソースの秘密兵器はBSD!  (2007年05月29日)

オープンソースには、ライセンスで定められた制約や自由があるが、それはGPLだけではない。
 ライセンスの種類によって、オープンソース・ビジネスに対する考え方は大きく異なると言うことが、一般にはあまり知られていないし、そこには大きなビジネスチャンスがある。

[FreeBSDウェブサイト]

GPL(GNU General Public License)は、OSI(Open Source Initiative)と言う「オープンソース」の定義を行った団体が認定した、多くのオープンソースのライセンスの中でも一番有名なものである。
 GPLを管理しているGNU(GNU’s Not Unix)自体は、もともとオープンソースではなくフリー・ソフトウェアの推進を行っていたこともあり、GPLでのライセンスはビジネス向きではないもの の、Linuxのライセンス形態となったことから、特に日本ではオープンソースのライセンスと言えばGPLとなってしまった。
 GPLとは、簡単に言えば、公開されたオープンソース・ソフトウェアの中身であるソースコードを改修した場合に、その配布などを行う時には必ず改修した内容を公開するというものである。

GPLに違反する行為に対する誤解も多い。
 オープンソース公開されたLinuxなどを基盤に利用して、アプリケーション・ソフトウェアを開発する場合は元となるオープンソース・ソフトウェア自体を改修しなければ問題ない。
 例えば、マイクロソフトが提供するWindows XPの上にアプリケーションを作って販売するのと、権利関係においては全く同じである。
 米国でのSCOの訴訟については、Linuxユーザーを訴えるということであったが、これはLinux OSの中にSCOが著作権を有するソフトウェアが一部含まれているということが理由であって、ただ漠然とオープンソースを使っているからと言うことではない。
 また、ユーザー企業としてこのソフトウェアを販売などしなければ、ソースコードを改修しても公開する必要はない。ゼロから開発するよりも、出来上がっているものを改修した方が安上がりとなる。

このように、GPLで提供されるオープンソースでもビジネス利用は問題なくでき、広がりを見せているが、もっと極端にビジネスに活用できるライセンスがある。

それが、GPLの対極となる代表的なライセンス、BSDライセンスである。
 このBSDライセンスこそが、オープンソースのビジネス・チャンスであり秘密兵器となる。BSDライセンスの最大の特徴は、改修したソースコードを公開せずにパッケージ・ソフトウェアとして販売しても構わないことだ。

オープンソースのOSと言うと、殆どの人がLinuxを思い浮かべるだろうが、私がこのビジネスを立上げた1997年ころは、もう一つのオープンソース (当時はフリー・ソフトウェア)OSであるFreeBSDも大きなシェアを確保していた。このFreeBSDこそが、BSDライセンスによるオープンソー スOSである。
 BSD系のオープンソースOSは、このFreeBSDを始めNetBSDやOpenBSDなどいろいろあるが、基本的には元は同じと考えてよい。

意外と知られていないことだが、最近PC分野でも再び注目を集めてきているアップルは、Mac OS XのベースとしてBSDを利用していることである。
 Mac OS Xは、まさにオープンソースをベースにアップルがGUIという化粧を施したものと言える。標準的なUNIXとしての機能をベースとする時に、このBSDラ イセンスは良い土台となった。アップルは、BSDライセンスのOSを改修して、自社OSパッケージとしクローズドにして販売しているがライセンス上問題な い。
 このようなBSDライセンス利用が、これからのオープンソースのビジネスとして広がる可能性が高い。

BSDでのビジネス・チャンスの本命は、アプライアンス製品や組み込み系システムである。
 ある意味Mac OS Xもアプライアンスと言えるかも知れないが、これから開発する様々な機器類をBSD系OSの改修により製品開発することで、ソースコードは非公開のまま他社へのアドバンテージを維持していくことができるからだ。
 現在の組み込み系のシステムは、シンビアンやTRON、Windows Embeddedなどの他に、Linuxも広がり始めているが、我がオープンソース陣営としては、Linuxではなく秘密兵器のBSDを前面に押し出していきたい。

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