「オープンソース・ビジネスは第2世代へ」 (2003年5月6日)

 オープンソース・ビジネス第2世代の方向性は、ブラックボックスの排除とオープンソース・ソフトウェアによる簡易なシステム構築手法の提供、強固なシステム運営体制の準備となる。

■ 業務処理システムまで突き進む

 これからのオープンソース・ビジネスは、Linuxだけではなく業務処理システム全体を如何に構築し運用するかに注目すべきである。
 未だに、RedHatLinuxかUnitedLinuxかなどの議論をしたがる人や技術的問題を口にする人が多いが、既に米国を中心に、現実としてUNIXやメインフレームのリプレースが急速に進展し、情報化投資は削減されているのである。今なすべきことは、Linuxを如何に大規模システムで使える様に改造調査を実施するかではなく、実際に使ってみて運用の仕組みを明確化することである。

 もう一つのブラックボックスによる情報漏洩リスクについては、米国オレゴン州やカリフォルニア州の様に、オープンソースでないブラックボックスのソフトウェアを一切州の情報システムから締め出す方向に進むことは間違いない。国や自治体だけでなく、一般企業においても同様に情報漏洩への対応は必須であることから、ブラックボックスの排除とオープンソースの採用はますます勢いを増すことになる。

 そこで、見落とされがちなのが、業務処理システムをどう構築するかと言う基本的な問題である。 Webによる業務処理システム構築の基盤技術については、欧米では「LAMP(ランプ)」というキーワードがある。すべてのレイアにオープンソース技術を用いるもののことで、Linux(OS)、Apache(Web)、MySQL(DB)、PHP(Script)の頭文字を並べたものである。Linuxだけではシステム構築はできない。社内Webシステムとしてのイントラネット構築の基盤は、この「LAMP」技術の習得や充実を図っていくことで実現できる。
 日本の場合は、データベースにPostgreSQLが使用されることが多く、「LAPP(ラップップ)」となり、既に、これらの技術をベースとしたWeb業務処理システムの構築事例が出始めている。

■ 経済不況こそがビジネスチャンス

 これまでも情報システムにおける革命的変化は、経済環境が良くない時に起きている。前述した様に、パソコンとLANによる情報システム革命を引き起こしたEUCとダウンサイジングも然りである。
 1990年ころのバブル崩壊では、NetWareによるパソコンLAN旋風が吹き荒れた。NetWareはネットワークOSとしての位置付けだが、当初、NetWareを販売するノベル社がハードウェア・ベンダーであったことは、あまり知られていない。しかも、インテルのCPUではなくモトローラの68000系のCPUに、NetWareOSを搭載してNetWareサーバーとして販売していた。このころのNetWareの主たる機能は、ファイル共有やプリンタ共有であり、ローカルなハードディスクからファイルを読み込むよりも、NetWareのファイルサーバーから読み込んだ方が早いなどを、売り物にしていたのを覚えている。
 我々が初めてこのNetWareを使って業務処理システムを構築したのは、1987年、当時新金融商品として話題を集めていた変額保険のシステム化を、某外資系生命保険会社向けに開発したものである。しかし、この時は、時期が早過ぎたこともあり、特にパソコンLAN用のデータベースの安定性が十分ではなかったため、大きく納期を遅らせることになってしまった。業務処理システムをパソコンLANで構築する環境が不十分だったと言える。
 その後、Btrieveというデータベース(Btree型)の出現は、パソコンLANによる業務システム構築においては、非常に大きな進歩となった。更に、dbMagicなどの4GL(第4世代言語と言われたシステム構築簡易言語)の定着化で、様々なユーザー・アプリケーション分野向けの技術が業務処理システムの発展に寄与していった。米国においては、今でもNetWareのシェアがある程度残っているのは、この業務処理アプリケーション形態の膨大な普及の結果に他ならない。

 今はまさにバブル後最悪の経済環境であり、何かによる革命的変化が起こり易い状況なのである。
 オープンソース・ビジネス第2世代においては、当初のLinux技術中心ではなく、たくさんの情報システムで利用されていくために、オープンソースのデータベースなどを含む「LAMP/LAPP」で、Webシステム構築を簡易に行える技術追求の時代となっていくのである。
 これを、コンポーネントウェア化で目茶苦茶になったJavaやブラックボックスを引きずる.NETで行うというのか?
 この辺りの議論は、次回に展開したい。

■ そして産業構造が変わる

 最近の大手SI企業では、政府のオープンソース採用検討に合わせて、明らかに国家予算狙いと思える様なLinux参入表明をするところ(殆どが表面的にではあるが)が増えてきている。冷静に考えると判ることだが、これまでメインフレームやUNIXでシステムを納入していたSI企業が、本気でLinuxによるリプレースに動くであろうか? 一つの案件の受注金額を半分にしたら、昨年と同じ売上を確保するには、2倍の案件をこなさなければならない。したがって、表面的にはLinuxやオープンソースを提案すると発表したもののどうしても腰が引けてしまうのが現実である。
 米国での同様の事例は、サンマイクロシステムズのSolarisの失速とLinuxへのやむを得ない参入に見ることができる。

 既得権益を持つ大手情報処理業界の企業にとっては、オープンソースによる情報化投資削減が進行することは大変な問題である。したがって、ユーザー企業がオープンソースを導入したいと言っても、当面は信頼性が低いとの理由で、今の仕組みの維持に動くことになる。米国ではエンタープライズLinuxとLAMPによりオープンソース活用は一般化しているにもかかわらず。
 ユーザー企業にしてみれば、これまでの大きな情報化投資を少しでも削減したいところなのに、従来のシステム業者では十分な対応ができず、新たなパートナーを探すことになり、この様なチャレンジの結果の成功事例がトリガーとなって、一気にオープンソース・ビジネスの時代に突入していくであろう。
 オープンソースによる業務処理システムの「構築」と「運用」の準備が整った時、情報処理産業の仕組みが変わる。金融業界や建設業界が肥大化して行き詰まった様に、情報処理業界も明らかにバブルである。今までの安閑とした既得権益者たちは事業崩壊を招くことになるだろう。
 ただし、オープンソースの最大の特徴はソースコードの公開が、誰にも平等にあることなのである。現在の既得権益を持つ大企業も、地方の小さなソフトハウスも、コンピュータ普及初期に大活躍した企業も、新規に事業参入する企業も、まったく同じスタートラインに立つことが保証されている。そこから、新しい情報処理産業の再構築が始まる。
 これがオープンソース・ビジネス第2世代の到達すべき姿なのである。

「オープンソースというビジネス」(2003年4月14日)

 早いもので、私がコンピュータに関わり始めてから、30年近い年月が流れた。初めてのプログラムは、もちろんメインフレームで、Fortranという言語を使いコーディング用紙に鉛筆で記入して、キーパンチャーという別の人に依頼し、1行のコード(プログラム命令)を1枚のカードにパンチしたものを、プログラム行数分コンピュータに読ませるという方法であった。修正する箇所は再度コーディング用紙に記入し、またキーパンチャーに頼む。当時のプログラマは、ある意味では自分でキーボードを打つ必要すらなかった。15年くらい前だろうか、あるアンケートの結果で、プログラマでワープロ(キーボード)を打てない人の比率がかなり高かった(40%前後?)ことを記憶している。
 1989年に通産省(現経済産業省)が発表した予測では、情報システムのバックログ(システム化すべき仕事で未済のもの)の数が大きくなり、2000年にはCOBOLプログラマが100万人不足するとのことであった。当時は、メインフレームとオフコンの時代であり、この解決には大量のプログラマの育成が重要であった。しかし、革命的な大きな変化が訪れる。それこそがパーソナル・コンピュータとネットワーク(当初はLAN=ローカルエリアネットワーク)の出現である。これをビジネスに活用したキーワードが、最近ではほとんど聞かなくなったが、エンドユーザーコンピューティング(EUC)とダウンサイジングである。EUCとは、コンピュータを利用する人が自らプログラムを作成したり表計算やワープロを操作することを意味し、ダウンサイジングとは、業務処理システムを、メインフレームやオフコンからPC-LANへ移行して情報化投資の削減を狙うもので、今やこの展開が更に進んでWebコンピューティングとなっている。この二つの仕組みの発展により、100万人のプログラマ不足は免れることになる。
 現在、一般の人たちがキーボードを何の抵抗もなく打ち、インターネットから自由に情報をとったり、メールを交換したりといったことが実現しているのは、これまでの過程も含めて、明らかに情報システムが大きく進化したことに他ならない。
 最先端の技術や仕組みを追いかけてきた立場から考えると、これまでにいろいろなキーワードがこの業界で取りざたされてきた。その中には、単なる「流行」として消えていったものもあり、情報システムに「進化」をもたらしたものもある。
 世の中に存在している常識は、過去を振り返って見ると意外にとんでもない間違いだったりすることも沢山ある。この連載では、オープンソースを始め話題となっている様々な常識に対して敢えて疑問を呈し、「進化」なのか「流行」なのか、仮説をたて、歴史を振返りながら理論武装して実証していく。こんなトライが新たな方向性の見極めの一助となり、少しでも情報システムの本質に迫ることができれば幸いと考えている。

 オープンソースと言うと、すぐにコミュニティやボランティアが思い浮かび、ビジネスとは関係ないことだと考える人が少なくないことであろう。しかし、日本政府においてもオープンソース採用のニュースが流れ、IBMを始めとするコンピュータメーカーが挙ってLinuxの本格展開を表明してくると、これは情報処理業界における一つの大きな変化であることと読者も察しているに違いない。
 1998年に初めてオープンソースソフトウェアという呼称が使用され、それまでのフリーソフトウェアがビジネスを否定した自由であったのに対し、一定の条件のもとにビジネスでの利用を許容することとなった。
 1990年代中ごろから、Webの急激な発達は、あらゆる企業がホームページを作成して公開することを強要し、eビジネスと称してインターネット上での商品売買や情報提供などに広がり、多数の企業にルーターやUNIXサーバーなどの多大な情報化投資を迫ることとなる。
 Linuxとapacheなどの組合せによるWebサーバーは、フリーソフトウェアと言われていたころから、これらの情報化投資削減に寄与し、草の根的に大きく広がっていく。そして、オープンソースソフトウェアへの変更により、Linuxサポートを始めとするさまざまなビジネスが出現してくることになる。
 ただし、Webという新しい仕組みの中だけのビジネスは、大手企業の過剰な反応による参入などで、ITバブルという名の元に低迷していった。これまでのWebビジネスのリーダーであった米国経済の低迷にも影響を受け、Linux企業にもビジネスの限界が見え始めて、1999年12月に、ナスダックへのIPOで初値最高価格を記録したVALinux社は、既に社名からLinuxの文字を取り去りLinux企業ではなくなっている。日本においても、以前はLinuxを売り物とするベンチャー企業がいくつも誕生したが、企業情報システムのビジネスにフォーカスしていない企業は淘汰の波に晒され、コンピュータ・メーカーの参入の中、影が薄くなってきている。
 ところが最近、オープンソース・ビジネスは再び元気を取り戻してきた。その理由として、先ずは前述の通り、各国政府での積極的採用の原動力となった情報漏洩に関するセキュリティ対策の問題である。ブラックボックス化されたOSのもとでは、大事な情報が外部に漏洩させてしまうコードが入っていても判らないので、オープンソースを採用することにより、このリスクを避けようとするものである。
 もうひとつの元気な理由は、経済環境低迷のもと、政府や企業の情報処理システムに対する投資を削減できることである。
オープンソースによる情報化投資削減は、エンタープライズLinuxと呼ばれ、既存のメインフレームやトラディショナルでレガシーなUNIX(米国ではこういう呼び方もある)との一時的共存やリプレースなどにより、従来の情報化投資を30%から0%まで削減しようというものである。
 また、外食産業のニユートーキヨーが1999年10月に発表した受発注システム「セルベッサ」のオープンソース化は、その後、WDI(インタリアン・レストランのカプリチョーザなどを運営)やサントリー系のダイナックなどに広がり、業務系アプリケーションにおいても、オープンソース化する意義が高いことを証明した。この業務系オープンソースの広がりは、今年2月に早稲田大学が大学事務システムのオープンソース化を発表した様に、大学や自治体など公共性の高い分野へも普及しており、従来のシステム構築のための投資を考え直す上でも、大きな意味を持つことになる。
 この様に、企業の情報システムと非常に関係が深いところでの、オープンソース活用が始まってきたのである。
 オープンソース・ビジネスは第2世代へと突入していくことになる。

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