「オープンソースというビジネス」(2003年4月14日)

 早いもので、私がコンピュータに関わり始めてから、30年近い年月が流れた。初めてのプログラムは、もちろんメインフレームで、Fortranという言語を使いコーディング用紙に鉛筆で記入して、キーパンチャーという別の人に依頼し、1行のコード(プログラム命令)を1枚のカードにパンチしたものを、プログラム行数分コンピュータに読ませるという方法であった。修正する箇所は再度コーディング用紙に記入し、またキーパンチャーに頼む。当時のプログラマは、ある意味では自分でキーボードを打つ必要すらなかった。15年くらい前だろうか、あるアンケートの結果で、プログラマでワープロ(キーボード)を打てない人の比率がかなり高かった(40%前後?)ことを記憶している。
 1989年に通産省(現経済産業省)が発表した予測では、情報システムのバックログ(システム化すべき仕事で未済のもの)の数が大きくなり、2000年にはCOBOLプログラマが100万人不足するとのことであった。当時は、メインフレームとオフコンの時代であり、この解決には大量のプログラマの育成が重要であった。しかし、革命的な大きな変化が訪れる。それこそがパーソナル・コンピュータとネットワーク(当初はLAN=ローカルエリアネットワーク)の出現である。これをビジネスに活用したキーワードが、最近ではほとんど聞かなくなったが、エンドユーザーコンピューティング(EUC)とダウンサイジングである。EUCとは、コンピュータを利用する人が自らプログラムを作成したり表計算やワープロを操作することを意味し、ダウンサイジングとは、業務処理システムを、メインフレームやオフコンからPC-LANへ移行して情報化投資の削減を狙うもので、今やこの展開が更に進んでWebコンピューティングとなっている。この二つの仕組みの発展により、100万人のプログラマ不足は免れることになる。
 現在、一般の人たちがキーボードを何の抵抗もなく打ち、インターネットから自由に情報をとったり、メールを交換したりといったことが実現しているのは、これまでの過程も含めて、明らかに情報システムが大きく進化したことに他ならない。
 最先端の技術や仕組みを追いかけてきた立場から考えると、これまでにいろいろなキーワードがこの業界で取りざたされてきた。その中には、単なる「流行」として消えていったものもあり、情報システムに「進化」をもたらしたものもある。
 世の中に存在している常識は、過去を振り返って見ると意外にとんでもない間違いだったりすることも沢山ある。この連載では、オープンソースを始め話題となっている様々な常識に対して敢えて疑問を呈し、「進化」なのか「流行」なのか、仮説をたて、歴史を振返りながら理論武装して実証していく。こんなトライが新たな方向性の見極めの一助となり、少しでも情報システムの本質に迫ることができれば幸いと考えている。

 オープンソースと言うと、すぐにコミュニティやボランティアが思い浮かび、ビジネスとは関係ないことだと考える人が少なくないことであろう。しかし、日本政府においてもオープンソース採用のニュースが流れ、IBMを始めとするコンピュータメーカーが挙ってLinuxの本格展開を表明してくると、これは情報処理業界における一つの大きな変化であることと読者も察しているに違いない。
 1998年に初めてオープンソースソフトウェアという呼称が使用され、それまでのフリーソフトウェアがビジネスを否定した自由であったのに対し、一定の条件のもとにビジネスでの利用を許容することとなった。
 1990年代中ごろから、Webの急激な発達は、あらゆる企業がホームページを作成して公開することを強要し、eビジネスと称してインターネット上での商品売買や情報提供などに広がり、多数の企業にルーターやUNIXサーバーなどの多大な情報化投資を迫ることとなる。
 Linuxとapacheなどの組合せによるWebサーバーは、フリーソフトウェアと言われていたころから、これらの情報化投資削減に寄与し、草の根的に大きく広がっていく。そして、オープンソースソフトウェアへの変更により、Linuxサポートを始めとするさまざまなビジネスが出現してくることになる。
 ただし、Webという新しい仕組みの中だけのビジネスは、大手企業の過剰な反応による参入などで、ITバブルという名の元に低迷していった。これまでのWebビジネスのリーダーであった米国経済の低迷にも影響を受け、Linux企業にもビジネスの限界が見え始めて、1999年12月に、ナスダックへのIPOで初値最高価格を記録したVALinux社は、既に社名からLinuxの文字を取り去りLinux企業ではなくなっている。日本においても、以前はLinuxを売り物とするベンチャー企業がいくつも誕生したが、企業情報システムのビジネスにフォーカスしていない企業は淘汰の波に晒され、コンピュータ・メーカーの参入の中、影が薄くなってきている。
 ところが最近、オープンソース・ビジネスは再び元気を取り戻してきた。その理由として、先ずは前述の通り、各国政府での積極的採用の原動力となった情報漏洩に関するセキュリティ対策の問題である。ブラックボックス化されたOSのもとでは、大事な情報が外部に漏洩させてしまうコードが入っていても判らないので、オープンソースを採用することにより、このリスクを避けようとするものである。
 もうひとつの元気な理由は、経済環境低迷のもと、政府や企業の情報処理システムに対する投資を削減できることである。
オープンソースによる情報化投資削減は、エンタープライズLinuxと呼ばれ、既存のメインフレームやトラディショナルでレガシーなUNIX(米国ではこういう呼び方もある)との一時的共存やリプレースなどにより、従来の情報化投資を30%から0%まで削減しようというものである。
 また、外食産業のニユートーキヨーが1999年10月に発表した受発注システム「セルベッサ」のオープンソース化は、その後、WDI(インタリアン・レストランのカプリチョーザなどを運営)やサントリー系のダイナックなどに広がり、業務系アプリケーションにおいても、オープンソース化する意義が高いことを証明した。この業務系オープンソースの広がりは、今年2月に早稲田大学が大学事務システムのオープンソース化を発表した様に、大学や自治体など公共性の高い分野へも普及しており、従来のシステム構築のための投資を考え直す上でも、大きな意味を持つことになる。
 この様に、企業の情報システムと非常に関係が深いところでの、オープンソース活用が始まってきたのである。
 オープンソース・ビジネスは第2世代へと突入していくことになる。

クリエイティブコモンズとオープンソース  (2008年05月19日)

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著作物関連の新たな動きとして、クリエイティブコモンズが話題となっている。  文書や写真、音楽などの著作物について、このクリエイティブコモンズによりライセンスすることで、従来のような著作権料の支払や著者の許可などに関して、その取扱いの自由度が大きく広がることになる。
 クリエイティブコモンズの定義とは、「表示」「非営利」「改変禁止」「継承」のうち、「表示」は必須で他の3つは適度に組合せて利用できる仕組みである。「改変禁止」と「継承」は相反するため、この両方を一緒には選択できない。
 ただ、「非営利」は必須ではないので、選択していない著作物であれば、営利に利用しても問題ないことになる。
 これらのキーワードは、我々オープンソース業界が長い間携わってきたソフトウェアの著作権問題によく似た内容である。
 オープンソースの場合は、GPL系での「改変」の際の再公開やBSD系の全くの自由化などとなってきて、ビジネス化においてはいろいろな誤解や訴訟などにつながったこともあったが、クリエイティブコモンズは、今のところ分かりやすいスタイルとなっているように思われる。

このところ、デジタル・オーディオ関連の仕事も あり、音楽ビジネス関連の人たちと話していると、「CDが売れなくなってきたからミュージシャンを志す人が減っている。優秀なミュージシャンがでてこない 今後の音楽業界は暗い。」という声をよく聞く。始めはなるほどと思ったが、これは大きな間違いであることに気が付いた。
 もともと芸術とは、金のための行為ではないはずだ。自分の考えた独創性を世の中に問うことだ。時として彼らは凡庸な時代の流れに見いだされることがなく、極貧の生活を送りその死後にようやく時代が理解してきて名声を世界に知らしめる例なども多い。
 インターネットの普及が進展すると、世界中の多くの人たちに向けて音楽を発信することができるようになる。レコード会社の人が売れそうなものを選択して CDというパッケージで販売していくよりも個性や独創性は広がるような気がする。世界の音楽ファンが大衆として受入れるのではなく、ロングテールの概念の ように、数少ない独創性を理解できる人として判断する方が良いのではないだろうか。
 クリエイティブコモンズは、このような視点にたっているのだと思う。
 インターネットで音楽配信が進み、クリエイティブコモンズによるダウンロードサイトも、今後は更に進展していくことになるだろう。

セルジュ・チェリビダッケという指揮者は、レコードのためのスタジオ録音をしないポリシーを貫いたことで有名である。今年生誕100年ということで盛上がっているヘルベルト・フォン・カラヤンが、次々とレコードというメディアを活用して大成功していったのとは正反対の動きをした指揮者だ。
 チェリビダッケのCDは、ライブ録音のものしかなく、ライブ録音の場合によくある演奏の間違いやコンサートホールでのせき払いなどのノイズがそのまま入っているが、その独特のゆったりとしたテンポから繰り出される音楽からは、人を感動させるものが少なくない。

 我々が手掛けているソフトウェアの世界も、もともとは実は芸術の一部なのだと思う。
 創ったプログラムをユーザーに見てもらい、「こんなことができるんだ」と感動してもらうのが嬉しくてやってきた人が多い。最近では、ITのコモディティ 化が進んで、電気や水道のようにシステムは普通に動いていて当然で、ダウンや間違いがあったら責められてしまうスタイルになってしまった。これが学生たち からIT業界が人気がなくなった最大の理由なのかもしれない。
 幸いなことに、オープンソースの世界には、まだこのようなソフトウェアの感動が残っており、また新たな輝きを発見できるチャンスがあるので、我々は頑張っているのだ。

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