会計(情報システム)を知らない経営者 (2003年7月18日)

 しばらくIT提供側の話をしてきたが、実はユーザー企業のITへの取組みが、日本のIT産業の発展において、かなり根深い問題である。
 情報システムは「うまくいって当たり前」であり、システム障害でも起きようものなら担当役員自らの進退問題にすら発展する。寄らば大樹的体質の大企業エリートにとっては、「情報システムなど知らない方が出世できる」と思っている人たちが多いのである。
 コンピュータは、企業経営の道具であり、基盤である。ユーザー企業が責任をもってこそ、IT産業の健全化が実現できるのだ。

■ 情報システムは企業経営基盤

 情報システムは、会計や総務などと同じように、企業経営の基盤となってきている。
 専門家をスタッフに揃えることも重要だが、経営者自らがある程度の一般的な知識を持つことは当然必要である。
 経営者で「私は会計知識が全くない」と言う人は先ずいない。しかし、経営のプロと呼ばれる人たちにおいても、情報システムは全く知らないと言う人は結構多い。経営者にとって、企業活動の基盤となった情報システムは、「知らないから適当に」や「無理してでも動かせ」などと安易に取り扱えない代物になってきた。ただ、会計や人事などと同じ企業基盤であるのだから、あまり難解に考えることもない。
他のリソースと同様に、自社の経営に役立てるために、自分の考え方を明確にし正面から向き合えば良い。

 1980年代後半、「戦略的情報システム=SIS」なる言葉が登場した。従来の情報処理システムが、手作業で行われていた処理をコンピュータに移行して省力化するのが主目的だったのに対し、企業の「戦略」の一翼を情報システムで担い、新たなビジネスや市場を創造することを目的とした。

 情報処理が新たなビジネス(業種)やマーケットを産み出すことによって、従来の経営者たちは大きく動揺した。実際にやったことのない仕事に挑戦していくことへの不安が高まり、ちょうど発生し始めたSI事業を生業とする企業への依存を強めることとなったのかも知れない。

 もともと、その企業の業務処理については、その企業の人が、更には経営者が一番詳しい。その業界全体に広げたところで、SI企業などよりも間違いなく詳しいのだ。ただ、ここで情報システムの一般的知識は専門企業に任せようと言う行動にでることで、ユーザーとIT提供側の立場が逆転しているだけのような気がする。

■ 保険料と税金

 現在の日本のコンピュータ・ユーザー企業は、他の国に比べて高価な情報化投資をしている。
 筆者は、このような情報化投資の無駄を「保険料」と「税金」と呼んでいる。
 「保険料」とは、大手コンピュータ・メーカーやSI企業との間で行われている一括アウトソーシングである。
 ITをよく知らない経営者が、外部のコンピュータ専門の大企業に丸投げすることで、自らの責任を回避する。「あの大手IT専門企業が障害を起こしたのだから、この問題は自分の責任ではなく、世の中の仕組みが悪いのだ」と言って逃れることができる構図である。
 受ける側も、この責任を被ることになるのだから、その費用分は当然「保険料」として上乗せさせる。中間マージンの不当な搾取を行って、間接部門の費用まで賄うことになるのだから、高価になるのは当たり前である。

 もうひとつの「税金」とは、パッケージ・ソフトウェアの提供である。大量に販売されているパッケージ・ソフトウェアは、PCのハードウ
ェアに事前にインストールされて、”消費税”のようにその費用も上積みされた価格で提供される。基本ソフト(OS)、ワープロや表計算などのオフィス・スィート製品がこれにあたる。これらのソフトウェアは、1~2年の間にバージョンアップが行われ、しっかりと”固定資産税”のように情報化投資を迫り、拒否をすると、その内にサポートを打ち切られたり、新バージョンへのアップグレードができなくなったりするのだ。
 1本の金額は数万円かも知れないが、1万人の社員が使っていたら、年間数億円の経費になることを忘れてはならない。

 経済環境が良い時であるのなら、自分で儲けたお金で「保険料」や「税金」を払うのは勝手であるが、現在のように、自社の人員削減を実施している状況下で、経営者のITに関する無知によって、まだ削減できる費用がありながら、多額の情報化投資の無駄をしているのは、明らかに経営の怠慢と言える。

■ CIOの役割

 そこで、重要なファンクションとなるのが「CIO(情報担当役員)」である。
 日本の企業には、CIOがいないと言う話はよく聞く。また、CIOを育成しようと言う話もよくある。最近では、MOTなる言葉も出現し、IT知識とその活用実践が経営者に望まれてもいる。
 ただ、知識が先行しており、IT関連の雑誌の請け売り的な発言をするCIOが多い。情報システムについては、会計のように企業運営の基盤なのだから、それぞれの企業によって満足基準の設定と評価が必要である。

 筆者は、情報システムに要求されることは、「正確さ」「処理速度」「安さ」の3つだと思っている。CIOは、これらの要求実現をどのレベルまで求めるのか、また、その方向性を、どのようなポリシーとして整理するか、を検討すべきだ。すべて満点にできるような情報システムなどはない。

 例えば、最近はERPがブームであり、いろいろな業種の大企業が導入している。
 ERPの導入により、今までの業務処理の流れを見直し、統一的なコンピュータ処理にしていくことは悪いことではない。ただ、従来の処理に対して、「正確さ」「処理速度」「安さ」の3つの基準においてどの程度効果があるのか、その効果と投下費用が見合うものなのか、よく考える必要がある。

 これまでのERP導入事例を見ていると、経営トップの鶴の一声であったり、同業他社が次々と導入したためとか、コンサルタントに薦められて、などが多いような気がする。
 CIOには、このような流行の嵐の中にあっても、現システムの方がメリットが高ければ、頑固にERPなど不要だと明言する「勇気」も必要なのだ。

 いろいろな考え方があって良い。
 極論に走ると、高額な商品を少量づつ取扱う業態であれば、情報化投資を全て止めて、製造原価や販売管理費の削減をし、製品価格を低減したり、社員の給料を上げたりした方が、喜ばれるのではないだろうか。
 「情報システムなど不要」と言うCIOがいても良い。

「そろそろ変わろうIT業界」 (2003年7月3日)

 最近、「このOSには、この機能がない」「この言語は、パフォーマンスが問題だ」などの声をよく聞く。「だから、この仕事はできない」という。前回指摘した「掌の中の技術」に慣れてしまった人たちが多くなった結果だ。
 この解決策は、原点に還ることである。コンピュータはもともと「汎用」の機械であり、基本的には全ての業務処理を可能とするものである。無いものは作ってしまえば良いと言う日本の先達たちの心意気を、IT業界全体でそろそろ考えて直してみる必要がある。

■ 「汎用」の機械

 大型コンピュータのことを大型汎用機と言う。もともと機械は、テレビにしろ、冷蔵庫にしろ、自動車にしろ、それぞれの機能を持った専用機であった。
 コンピュータが出現し、電子計算機と訳されたこともあり、当時は計算を高速に行うもののイメージがあったが、その高速な計算と記憶する力により、ソフトウェアを変更することで様々な処理を実現する機械「汎用機」となったのである。
 モノの生産をコントロールしたり、帳簿を付けて集計したり、記録された過去のデータを元に分析したりなど、いろいろな業務処理を同一の仕組みの機械で実現することができるようになった。もちろん、このような業務処理は、「汎用機」を導入すれば、すぐに利用できた訳ではない。必要なソフトウェアや入出力装置などをコンピュータを使うユーザー企業の人達がコンピュータ会社の人達と一緒に作って来たのである。
 1964年、東京オリンピックが開催された。首都高速道路ができ新幹線で開通して、日本は戦後から高度成長へと向かっていくことになる。この東京オリンピックのころから、鉄鋼や金融などを中心に、コンピュータの業務処理利用が広がっていった。もともとコンピュータを勉強していた人などほとんどいない。それまで、一般的な業務遂行をしていた人たちが集まり、偉大なる「汎用機」の利用に日本の様々な業界の挑戦が始まったのである。
 必要なものがあれば、その都度、新たなソフトウェアが作られ、コンピュータがより汎用となっていった。
 更に、パソコンの出現は、この汎用機としての特殊性を、個人利用のレベルにまで広げることができた素晴らしい進化だと思う。コンピュータの小型化とともに、アプライアンス製品として専用機械化する動きも活発化してきている。最近では、コンピュータを家電製品や自動販売機などに組込み、専用機に汎用的機能を持たせる方向も進展している。

 ただ、機能的な限界を専用機的に画一的に把握してしまう人が、ソフトウェア技術者の中にも多いような気がする。
 もう一度、コンピュータは「汎用機」であると言うこと、そして、何にでもトライできるということを再認識しておきたい。

■ ビジネスチャンスの発想

 1997年5月、米サンマイクロシステムズの本社を訪ねたことがある。
 1995年に発表されたJavaは、当時の米Byte誌の表紙を「Can Java replace Windows?」と言うタイトルで飾るまでに有名になっていた。そのころのJavaは、まだサープレットはなくアプレットが中心であったこともあり、ブラウザだけでマイクロソフトのWindowsを代替するデスクトップを作る方向であったことを象徴している。
 その本家である米サンマイクロシステムズで、ひとつの質問をした。
 「現在、御社の中で、業務処理システムにJavaを使っているのは、何パーセントくらいあるのでしょうか?」と。回答は、説明に来ていた人たちが相談をし始め、開発中のものはあるが、本番で稼働しているものは一つのサブシステムもないとのことであった。

 この話を聞いて、読者の方々はどう考えるであろうか?
 大半のソフトウェア技術者たちは、提供している本家ですら本格的に使用していないものは、まだ使わない方が良いと思うだろう。
 筆者はビジネスチャンスだと思った。サンマイクロシステムズ本体ですら、まだ十分な準備ができていない。今から開発していけば、ある分野で今後の世界標準のシステムを作れるかも知れない。そう思ったのは筆者だけではない。カナダや英国や韓国などの企業も、これをビジネスチャンスと認識し、Javaでできないこと、処理が遅いこと、業務処理に活用することなどに挑戦していった。
 しかし、日本のSIやベンチャーのほとんどは、待つ道を選んだような気がする。

 このような話をすると、「うちは松下型だから」という答えがよく返ってくる。
 世の中に普及するのを待ち、普及してから参入すれば十分間に合うと言うものである。しかし、松下型は横綱相撲である。ベンチャーや中堅中小のSIが口にすべきではない。
 分業と言う名のもとに、与えられた世界の中だけで考えるのではなく、無いものは作る、遅いものは早くする。これが「汎用機」におけるソフトウェアの挑戦であり、ビジネスチャンスの発掘である。

 ただ実際には、ベンチャーには資金がなくて、研究開発する余裕はない。システムを利用するユーザー企業とよく話をしよう。そこで実現するシステムが如何に有効で、将来の日本にとっても重要なチャレンジになるかということを。
 情報処理システムは、使ってくれて処理が早くなったとか、費用が安くなったとかの有効性が重要である。その技術が、有効性を追求するものであれば、きっと分かってくれるユーザー企業は見つかるし、ともに苦労をしてくれるものである。これが日本の文化のもとでもある。

■ 日本文化の進展からITを考える

 ヨーロッパの各地では、美しいフィニッシュと木目細かなストーリーが受けて、日本のアニメーションのテレビ放映が急増している。コミックの単行本も爆発的なヒットとなっているとのことである。世界にも通用する文化なのである。
 しかし、ここでよく考えていただきたいのは、前回にも触れたグローバリゼーションという言葉である。今の日本のソフトウェア技術者は、世界に通用するソフトウェアを作るには、世界のニーズに配慮し英語で作らなければならないと考えている人が多い。
 これらのアニメーションやコミックは、世界に向けて作られたのだろうか?
 そんなことはない。日本という文化圏において、日本人に向けて作られたものが、世界に認められたのだ。ローカライズは、世界の国々の人たちが、ビジネスとして必要に迫られ行ってきている。
 日本の子供たちは、米国のコミックやゲームを日本語化しても、つまらないと言うだろう。現実として、マイクロソフトのXBOXのゲームパッドは、大き過ぎてカッコ悪いそうである。

 これから伸びそうなITのビジネス分野を見極め、世界的にみてもトップクラスの繊細さを持つ日本という文化圏をターゲットに、世界の人たちも納得できるソフトウェアを作る、そんなチャレンジをともにして行こうではないか?

 因みに、日本文化の海外認知としては、ある外国の女性ロック歌手は、日本の女子高生のルーズソックスを見て、素晴らしいファッションだと言ったとか、秋葉原”新”文化の中心となっているフィギュアモデルのような村上隆氏の少女像が、ニューヨークのオークションで6,800万円で落札された。などなど、新しい日本文化の息吹は大きく広がっている。

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