ベンチャーは自由と可能性、そして夢の追求を  (2007年02月28日)

 良い悪いの議論は残るだろうが、元ライブドアの堀江氏、楽天の三木谷氏などを筆頭とするベンチャー企業の雄が、日本経済界に与えたインパクトは大きい。
 時価総額さえ上がれば「小」が「大」を喰うことができることを、実証したことは素晴らしい出来事であった。「時価総額経済」はその原理から言っても決し て間違っていないし、新しい流れは確実に起きていた。それは現在でも世界的な流れである。しかし、保守的で構造化した日本の経済界は、そのチャレンジに対 して危機感を募らせ、ついにはバッシングすることとなってしまった。

 「3年B組金八先生」という番組がシリーズ化されているが、ベンチャー全盛の時代に放映された内容で、私が一番印象に残っているシーンがある。先生が中 学生に将来何になりたいか、と問う場面があり、生徒からは、サッカー選手、弁護士、ケーキ屋さんや歌手などと当たり前の答えが返ってきていた。その中に、 世相を反映してか、「ITベンチャーの社長」というのが入っていたのを鮮明に覚えている。このように夢につながる職業にしていかなければならない。既得権 益をブチ壊す環境作りが必要であり、どんどんテレビに出たり本を出したりして、時代のヒーローとなる人たちが必要である。出る杭を打ち新しい息吹を消して しまうような現在の日本の風潮は間違っていると思う。

 旧体質の経済界は、ビジネスの成功で若者に夢を与えているだろうか? 政界は小泉劇場で少しは盛上がったが、経済界にはそのような夢がない。東証一部上 場企業に入社しても、年を重ねるとともに単なる社内の派閥争いから徐々にはじかれていく。また、運良く社長になれたとしても不祥事でもおきれば、テレビで 謝罪して一気に更迭されることになる。
 最近は「総理大臣」になりたい子供がいないばかりか、テレビのニュースで「不祥事のお詫び」ばかりしている「大企業の社長」になりたい子供もいなくなっているのが現実だ。
 ベンチャーは夢を生みやすい。大企業の社長争いなどやりたくもない人をはじめ、その争いからはじかれた人でも、今、ニートや浮浪者であっても、自分がやりたいことを世の中に問うことができる。このようなベンチャーを日本の経済社会はもっと大事にしなければならない。

 堀江元社長が逮捕された2006年1月以来、東証マザーズやJASDAQなどに上場しているベンチャー企業の株価は極端に落込み、まるでベンチャー叩き が一気に経済構造を昔に戻し始めているようだ。ベンチャー企業の株価が高過ぎると言う声をよくきくが、そうではなく大企業の株価が魅力に乏しく安いのが問 題だ。ベンチャー企業にとって「冬の時代」となってしまったが、本当にこれで良いのか?
 マスコミの取扱いも、大企業優先の明確な差別が出始めているし、就職する学生も大企業志向、またまた昔の「寄らば大樹」の雰囲気となりつつある。
 極論ではあるが、この夢のなさが、学校や家庭の荒廃を招き、これまででは考えられない殺人事件などを生んできているのではないだろうか?

 「日本経済界の構造改革」は、「賢い日本人」によって、米国や中国、韓国とも競争できる社会を目指し、これから数年で必ず進展すると思いたい。
 日本の大企業の時価総額が世界の企業に比べ相対的に低く、さらに円安傾向も続いていることから、外資系企業による日本の大企業の買収は、より簡単になってしまっている。日本の大企業は保守的になるのではなく、もっと積極的に常識的な仕組みを壊して進まなければいけない。
 日本が否定しようとした「時価総額経済」が、国際化の中で確実に進んできており、昔の「古き良き時代の日本」には、もう戻れないのだから。

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